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第27回・仁別晩秋
●2004年11月5日
●秋田市中心部→秋田市山内藤倉→秋田市仁別
2004年も暮に近い。
もう一ヶ月もすれば県道15号線(秋田県道)も雪に埋まるだろう。
早速、テスト終了後に水筒に水を汲みチャリ旅に出発だ。
今日は一人で「山内・藤倉路」に挑むことにした。
秋田市中心部から30分くらいチャリをこぐと・・・
添川(そえがわ)に到着する。
添川は上新城、広面、手形、濁川、仁別に抜ける交通の要衝である。
我等チャリ旅野郎の休憩地でもある。

中世豪族の館跡「添川館跡」(秋田市添川古城廻)
添川館跡には現在、神明社なるものが建てられている。
かつて小学校建設の際に遺構は破壊されてしまっているらしい・・・
旧道から県道15号線に合流する。
しばらくいくと、バス回転地「蓬田(よもぎだ)」がある。
この坂を駆け上がると、湯沢台にたどりつき、
涙を流すマリア像で有名な「聖体奉仕会」がある。
雪解けの頃のマリア庭園も見物である。
さて県道15号線を下ろう。
15%の坂を誇る「長田林道」分岐点のある「長田(ながた)」を過ぎると、
「山内松原(さんないまつばら)」にたどり着く。
松原には中世奥羽の古刹「補陀寺(ほだじ)」がある。
中世豪族、安藤氏の庇護のもと発展してきた寺だ。
秋田七福神の一つ「大黒天」でもお馴染だ。
寺の裏山には、南朝の忠臣「藤原藤房卿の墓」がある。
これより先は悪名高き「仁別サイクリングロード」がある。
熊の出没が多くとても恐ろしい自転車道だが、
景色は素晴らしい。
ま、私も死にたくないので県道15号線を爆走します。

山深くなってくる針葉樹林(秋田市山内松原)
ここから先は歩道がない。(ってか蓬田からずっと)
だからとても危険である。
しばらく勾配のきつい坂を車と平行して走らねばならない。
秋田東病院分岐点(丸木橋)を過ぎると仁別サイクリングロードと合流。
ちょっとした歩道が現れる。

藤倉路を行く(秋田市山内藤倉・湯の里林道分岐点)
するとそこはもう「山内藤倉(さんないふじくら)」だ。
かつてこの写真の現場で秋田名物「ババヘラ」を売っていた。
ま、よく熊も恐れずに。w
たまたま「藤倉上丁」というバス停の時刻表を見てみたら、
思っていたよりバスの本数が多い。

藤倉館跡を流れる旭川(秋田市山内藤倉・藤倉館跡)
ここも中世の館跡で城主は藤倉将監。
だいぶ染まってきてますね。
気温も冷え込み、ママチャリを漕ぐ力も衰える。

県道15号線「工事中」(秋田市山内藤倉・釣りセンター前)
おい、工事してるよ。
いやーいい道路作ってんですね。
事実、県道15号線は山づたいに走る崩落危険道。
かつては仁別森林鉄道一本が秋田市内と仁別を結ぶ交通手段だったとか。
道路の開通とともに、バス路線が開通してまだ30数年。
秘境を結ぶ交通も変わりつつあるのだろうか?

晩秋(藤倉水源地)
釣りセンターを過ぎると一気に勾配に。
国指定史跡「藤倉水源地」が見えてくる。
かつての秋田市民の水道を支えた近代建造物である。

秋の藤倉水源地(藤倉水源地)
水源地の隣には「岩谷不動明王」なるものがある。
まず通行人にきずかれることはないと思うが。

山にたたずむ(秋田市山内藤倉)
勾配は高くなりくだる。するとそこは「仁別(にべつ)」だ。
仁別ってアイヌ語なんですよね・・・・。
ほんと寒い。この奥地には仁別国民の森、さらには太平山がある。

仁別に到着

紅葉美しい(秋田市仁別・蝦夷館跡)
さーて帰るとするか。また坂を逆登り。

旧道発見(秋田市仁別)
県道15号線の旧道らしき道路を発見。潜入は時間がないのでまたいつか。
さて、藤倉にある藤倉神社にご参拝。ここは何かと縁のある神社。

藤倉神社(秋田市山内藤倉)
開山は1200年前。征夷大将軍、坂上田村麻呂である。
いやー歴史を感じます。でも建立当時は川の反対の「藤倉開拓」にあったとか。

水遊び(秋田市山内藤倉)
ちょっと旭川で遊んできました。
なんで旭川っていうか知ってますか?
昔は仁別川や泉川といったそうです。
江戸時代の紀行家「菅江真澄」が名づけたといわれてます。
旭日岳(太平山)から流れてくるから旭川。
秋田藩八代藩主、佐竹義和も納得してお墨付き。
それ以来、旭川と秋田市民は呼んでいるらしいです。


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