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第37回・ピークを狙え
●2005年6月18日
●秋田市中心部→国見山林道→秋田市下浜名ヶ沢→秋田市雄和
 
初夏の風が心地よい6月18日。
梅雨に入る前に何処かチャリ旅に行かねば・・・と考える。
ふと秋田市内の道路地図を見ると「国見山」という山があった。
標高112メートルという小山ながら山系を取り巻く、
「国見山林道」は10キロに渡る長大林道である。
「行ってみたい・・・・」
山岳部の読図練習も兼ねて行ってみることにした。
羽川の地形図を手にして・・・・。

旅は13時、旧国道7号線の浜田分岐から始る。
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浜田から左へ行けば梅林園(秋田市浜田)

梅林園は過去に一度だけ来たことがある。
だが、あまりにも昔の話で記憶にない。
坂を登り羽越本線の桂根トンネル上部を過ぎると、
梅林園の中央管理事務所が見えてきた。ここで短い昼食を取る。
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豊岩浄水場分岐(秋田市浜田)

アップダウンを断続的に、繰り返して一気に豊岩浄水場分岐へ。(13時12分頃)
豊岩方面への道は砂利であった・・・・w

一人で走るとアクシデントがないものである。
別にアクシデントを求めるつもりはないが、楽しみがないのが事実である。
副部長と行けば、必ず騒動が起き・・・
クリと行けば、必ず悶着が起き・・・
総裁と行けば、必ず浪費が起こる・・・・

と、突然いきなり開発された大規模の開発中の「公園」が見えてきた。
その名も「常陸の森」である。秋田市県都400年事業で去年あたりから、
開発されたらしい・・・。
概要が書かれてる標柱には時を越えて受け継がれると書かれてあったが・・・
冗談ではない。北羽の森を破壊して何が伝統だ・・・
無駄な税金ばかりつぎ込みやがって・・・とちょっと怒りに触れてしまった。
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無駄しか生まれない「常陸の森」(秋田市浜田)

さて、林道は稜線上を蛇行しながら進みつづけている。
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行け国見山林道!(秋田市豊岩豊巻)

道路の左右に「立入禁止」の看板が。ここが正真正銘の「私有地」とか。
チャリ旅では私有地や私道には入らないので悪しからず。
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私有地には絶対に入りません(秋田市豊岩豊巻)

まぁ、こうして一人で林道を走るのも久々なものなのだが、
ほんとに、何も起こらない・・・・。
読んでいる方々もあまりにもつまらないと思うが・・・。汗
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とうとう国見山頂(秋田市下浜長浜)

13時28分頃。とうとう国見山分岐に来た。しばし道草。
チャリを置いてピークを目指して歩き始めた・・・・
蒸し暑い登山道を100メートルほど登ると国見山山頂である。
13時29分頃ピークに達した。
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絶景・国見山頂からの遠望。(国見山頂)

国見山は秋田市の下浜長浜、豊岩豊巻、豊岩小山に位置する、
標高112メートルの山である。(前にも述べたが・・・
何故、国見山と呼ばれるのか・・・・。謎は深まるばかりだ。
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さて、国見山林道は名前を長浜林道と変えて、
一気に羽川に抜ける。

と、突然妙な案内板が出てきた。
「長浜林道。この先4,2キロメートル崩落のため通行止め」と。
さて、引き返すか。でもな・・・チャリだしな。
この軽い気持ちで進んで湯の里林道のようになってしまったら・・・
しかし、私は決意した。なにがあっても進むと。(大袈裟)
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不安は募るばかり(秋田市下浜長浜)

行けども、行けども崩落現場が見えてこない。
これは非常にまずい展開だ。
ついに全線通行止めのテープが・・・・。
まぁチャリにはまったくもって関係ない。
急カーブを曲がると再び全線通行止めのテープが。
何も厳重に二柵もするのか。よほど大規模なものなのか。

心臓が痛むような思いでカーブを曲がると、人がいた。
厳密に言うと工事している現場で作業員が居たと言ったほうが的確であろう。
「すみません・・・・」
「はい」
「ここチャリで通ってもいいですか・・・?」
「本来は駄目ですが。自転車は通ってもいいですよ」
なんだこの単調の会話は・・・・
つまらなすぎる。我ながら。w
さらに工事現場から400メートルほどで羽川に抜けることが出来た。

「この光景は・・・・」
そう。弥兵衛館である。下浜ベスト10に入るくらい、
自分にとって「弥兵衛館」は思い入れが深い。
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中世の居館「弥兵衛館」(秋田市下浜羽川)

ちなみにバス停は「弥兵衛橋」である。
とりあえず、まだ時間もあるし豊岩に行こうと考えた。
ま、寄り道しても問題ないし・・・・。

と、いうことで下浜の最奥「名ヶ沢(みょうがさわ)集落」へと・・・
そうすると、ここで新たな発見を。
名ヶ沢にも中世の城館「久五郎館跡」があった。しかも標柱付き。
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新たな発見「久五郎館跡」(秋田市下浜名ヶ沢)

名ヶ沢の最奥までいってみたが、日沿道が走り実感が涌かない。
せいぜい下北手の奥通沢くらいの「最奥度」が欲しかった。
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最奥の風景をぶち壊す「日沿道」(秋田市下浜名ヶ沢)

名ヶ沢入り口まで戻り県道240号線を下浜八田へと進める。
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八田の親杉(秋田市下浜八田)

樹齢400年。樹高29メートルのその容姿は旅人の心をあたためる。
親のような暖かい感じが取れる・・・・。
まさに、これも下浜ベスト10に入る。(もういいよ・・・・

黒瀬橋についたとき私はすでに「雄和」へ向かうことを考えていた。
雄和は秋田市に合併されて現在は秋田市雄和である。
その面積は広大で椿川から妙法、種平、戸賀沢、新波、平尾鳥、萱ヶ沢・・・
いつだったか(たしか第8回チャリ旅)で雄和の最南「神ヶ村」から、
椿川まで走ったが3時間もかかった・・・・・
なので、今回は久々に白根館に登ることにした。(前回は車だった
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白根氏悲劇の白根館へ登る(秋田市雄和水沢)

白根氏は中世末期、白華城主の豊巻季林(とよまきすえしげ)の家臣であった。
豊巻氏は秋田郡の大名、安東氏の一族で豊岩、石田坂一帯を支配していた。
1567年(永禄七年)に河辺の豪族で剛勇の豊島休心が豊巻氏の所領に侵入。
津波岐館跡(同市雄和椿川)や白華(同市豊岩豊巻)の本城を落とした
豊島勢は白根七郎居するこの館跡に進軍。
雄物川を有する天然の要害ながらも、豊島勢の急襲を受け落城。
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白根館跡の本丸(秋田市雄和平沢))

山頂には正岡子規の門弟でホトトギスの選者でもあった、
石井露月の白根館跡を詠んだ句碑が本丸に立っている。

「雨を避くる 物陰もなし 草錦」

露月が故郷に残した功績は大きい。
雄和には数多くのそれに関する史跡がある。
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時流れ 人影もなし 夢の跡 雄物の水面に 融和(雄和)の白峰(白根)
(みなと作)

しかし。蛾の大群が襲来して妙にかゆい。
赤のジャージで行ったのが問題であろうか。
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椿川の船着場(秋田市雄和椿川)

椿川は旧・川添村の中心部である。
ここから、ゆっくり秋田南大橋まで雄物川サイクリング。

16時23分。山岳部、部室前到着。お疲れ様でした。
ピークを狙えといいながらも三角点は二つだけ。
 
無事帰還
公開日   2005年6月18日
最終更新日 2020年4月2日
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