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●チャリ旅の記録
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琴丘町鹿渡
第1回「北の旅」より
2003年5月4日。すべてはここから始った。国道7号線を飯島、大久保、八郎潟と進み、気が付けば琴丘町に。しかし時間の関係からこの地で断念。
ちょうど能代まで20キロの地点であった。

補陀寺
第2回「松原撤退戦」より
2003年夏。くそ暑い日だった。あのうだるような藪(やぶ)の中に我々はいた。初めての仁別サイクリングロード。我々はすべてを恐れていた。松原の曹洞宗寺院・補陀寺は、仁別方面への中継拠点(休息場)としてよく通った。

藤倉水源地
第4回「藤倉撤退戦」より
我々が松原を越えた瞬間だった。あのうっそうとしているサイクリングロードを一路「藤倉」へ。副部長は失神していた。何はともあれ藤倉神社に。坂上田村麻呂が建立したこの神社は1000年の歴史がある。
後の話しながら、受験前日(2004年3月16日)に私は藤倉神社にお詣りに。雪深くてとても寒かったが、そこで私は「寛永通宝」を拾いこれを御守に受験に挑むが失敗。これも何かの縁なのか。
藤倉水源地は国指定史跡。まさしく熊が出そうなところ。

郡境・田代峠
第6回「峠路を行く」より
我々は台風と戦っていた。なにも台風の来る日にチャリを出すこともないだろうが。服は飛ばされ、チャリの運転も厳しく、路面には枝葉が散乱し、羽越本線の電線はショートしてまさしく「未曾有の光景」であった。しかも朝三時。今までの人生で最も最悪だった日かもしれない。
旅路のクライマックスにあったのが大内町と雄和町の県境にある田代峠だ。
クリと私はこの峠に挑む前にリボビタンDを補給。その数十分後の峠の中腹で悪夢が起こった。私の腹がやばい状態になった。しかもちょうど郡境付近。一気に下りに入る。ブレーキから手が離せない。そんな状況で腹痛もクソもなかった。
麓の神ヶ村についたとき、私は失神していた。この事件以来、チャリ旅の共に「正露丸」が加わった。
写真の左側に見える旧道らしき道路はこれはかつての県道9号線で私も車で何回も往来していた。実は、親から聞いた事だが、私は過去にもこの峠(旧道)で事件を起こしていたらしいが、触れないでおこう。

大滝山貯水池
第9回「道川林道外伝」
パンクは、チャリ旅における最も恐ろしい事故だ。私は能代に向かう際にパンクした。大久保の自転車屋で修理し、向かったのは大滝山。チャリ旅の舞台は林道は林道へと大きく舵を切る。

副部長の携帯
第11回「木曽石ルート!」より
副部長の車に轢かれたプリペイド携帯・エンジョルノ。
コメントはこれだけ・・・w

下北手奥通沢
第34回「北手・戸島輪行」より
最奥度マックスの集落。名前からして「奥通沢」である。他にも、最奥の場所には数多く行っているが、奥通沢の空気と風景はまさに最奥の集落である。

太平目長崎
第36回「ひとり太平」より
太平の集落を流れる太平川。